讃美歌と距離が欲しいのは
嫌いだからではないのです
入りこみすぎて苦しくなるのは
教会に足を踏み入れた時と一緒
きらきらステンドグラスに見惚れ
パイプオルガンに弾むような
信仰の真中にない十字を
格好良いものと思えるような
そんな神経にないのです
讃美歌を歌う時誰かが
神に賭する覚悟を、と言いました
そんなもの本気で持っていたら
歌どころではないはずで
魂の病に罹っていない者が
魂の病を治せぬのと同じで
真に讃美を胸持たぬ者は
真に奏でられないはずなのです
かといって
心の内から思い致している者は
病治すどころでは
歌い祈るどころではないから
どの立場でも如何ともし難い
皮肉にやられて諦めるのです
讃美歌と距離が欲しいけれど
その真中に泳ぎたい欲
美しいと手放しで愛でることできないけれど
本当は教会にも暫らく居たかった
神様なら分かりますか