「絶縁」の3番は正直、描くかどうか迷いました。
というのも私は、マイナス方向の沈みこむ歌に、
急に取ってつけたようにポジティブが割り入ってくるのが大嫌いだからです。
安易に希望を入れないまま終わりたい、
「縁を切ってしまいなさい」という、その思い切りの良さのまま締めたい。
そのほうがより、「絶縁」の大切さが表現できるはず。
ならばなぜ、これからの希望要素を入れたのか。
それは、「これから先に希望があるんだよ」と示すためではなく、
「これから先も生きていかないといけないんだよ」という、
言ってしまえば脅しです。
絶縁してすっきりしたからといって、
そこで清々しい日々が始まるかといえばそうではない。
素敵な人生を送れる可能性もあるけれど、
どちらにしても自分で築いていかないといけない。
ただでさえ土台のない身に、それは容易なことではないはずです。
「人の縁は尊いもの」というのは確かですが、
これから先、出会って築いて繋げていくのは、他でもない自分。
その労力も勇気も、ハンパではとても叶いません。
「断ち切ったぶん築いてゆくのよ」という言葉には
「今まで苦しんだ分、未来にきっと良縁が待っている」という希望を示しつつ、
「苦しいかもしれない、決して簡単ではない、
人と縁を結ぶという作業をこれからしていかなければならない。
絶縁したからといって自動的に新しいものが向こうからやってくるわけでなし、
自分で向かっていかなければならないんだよ」という、
きっついメッセージを込めてみました。
相も変わらず嫌味ったらしいですね、ふーかさん。
ちなみに私が「絶縁していい」と考える1つの目安は
「このままだと息ができない、とてもじゃないけど生きていけない」
と感じるかどうかです(世間ではなく、あくまであなた自身の感じ方で)。
こう感じたら直ちに絶縁してください。死んでる場合じゃないです。
逆に、ここまではなっていなくて、ちょっとやな感じだなムカつくなとか、
できれば関わりたくないな、くらいだったら、絶縁なんてしちゃだめですよ。
私は一応「人の縁は尊いもの」という考えに賛成です。が、それと「あなたの命が大切、人生が大切」を比べた時に、どう考えても後者が上だなと判断したので、その基準を描いたまでです。「死ぬくらいなら逃げろ」の論理ですね。
「人の縁は~」って、都合よく使ったり人を追い詰めるのに使ったり悪用する人多いし。
(絶縁の種類も「こちらからは連絡しない」から「籍を抜く」まで多様で、幅もあります。)
絶縁するもよし、良縁に希望を持つもよし、1人で腹くくって生きていくもよし。
否定はしません。何にしても、気持ちは分かるから。