たとえば当たり前のように
この世は「ある」と認識されていて
「ない」もしくは「あるのか確信が持てない」者は
病に分類される
けれど正しさを誰が決めた確かめた
これは道徳の話ではなくて
実証できないものを
どうして「ある」のが基準になっているのか
この疑問を持ち続ければ
枠から外れた者として
もしくは病という枠の中に置いて
語られるか無視されるかだろう
けれども私は
この世が少なくとも
「ある」という確実な証(しょう)は得られないのだと
ずっと思っている
ある時気づいたのではなく
初めからそう思っている
ただ個人の考えに過ぎないと言われれば
狂人の戯言と言われれば
ないことの証明もできないが
耐えず不安定であり続ける精神が
ほんの少しの秋で揺らぎ苦しい胸が
意味のあるものだと思いたいだけか
意味などない、に世界ごと巻きこみたいだけか
どうしてもどちらの証明もできないのに
当たり前に「ある」と信じ続けた地で
異を唱える者は螻蛄となり
消えるか、消えるを待つかだろう