おとのは ことのは

詩と曲を書いています。

自死について①

自殺者が後を絶たない。

それは「辛い状況」が引き起こしたのか、

いや「本人の気の持ち様」で食い止められたことなのか、

もしくはその両方、ないし別の要因が絡み合っているのだろうか。

 

自ら死を選んで実行することについて。

先に言っておきたいが私は自死を推奨しているわけでも

仕方ないと容認しているわけでもない。

 

ただ、よく言われる「命を大切に」の標語に沿ってなんとなく、

いけないことだとは分かっているつもり。

だけど納得はしていない。

「命を大切に」と唱えるだけで人間の自死を止められたら苦労しない。

 

誤解を恐れずに問えば、そもそも自死はそんなに悪いことなのだろうか。

命は大切にしないといけないんだから。

周りの人が悲しむから。

生きたくても生きられない人がいるのだから与えられた命を全うしないと。

これらの言葉はすごく真っ当で眩しい。

ほとんどの人がこれらの常識を知っている。

だけど実感できていない場合は?

知ることと身のうちから納得して実感していることは似て非なるものである。

 

生きていれば悲しいことが起こる。苦しい時がある。

それが「死にたい」と直結してしまう思考を私は否定しない。

人が「死にたい」と口にしたとき、

「それはいけないことだ」とだけ唱えても、解決にはならない。

弱って生きる道が見えない時に、

人が「死にたい」を止めるにはそれ相応の「実感」が必要になる。

 

それなのに頭ごなしに「死んではいけないから」と唱えて

人間誰しも持ちうる「死にたい」という感情まで抑えつけて

無かったもののようにするのは根本的な解決になっていない。

 

「死にたい」ながらも、ひとまず「死なないでおく」ことができる理由が必要だ。

「生きる」ことが厳しくなった時、その対極の「死ぬ」しかないわけではない。

積極的に「生きる」なんてしなくていいから、「死なないでおいて」ほしい。

 

そして、その理由は。

簡単なこと。

「自分が大切」だから。

小学校の道徳みたいなキレイゴトで一見バカみたいだなと書きながら思うのだけど、

まさにその小学校くらい(というか、もっと幼い時から)刻みつけないといけない

1番大切な実感だと思う。

 

確かある小学校の先生だったと思うが、

「命は大切」と1000回教えるより

「あなたは大切」としっかり教えることが大事だと言われていた。

私は、なるほどこの感覚こそが自分に足りないもので

なおかつ自死を止める理由でもあると納得した。

 

自死を望む人がいて、物理的に縛りつけるなどして止めることはできるかもしれないが

本当の意味で本人が「死なないでおく」、できれば「生きる」ためには

この「あなたは大切」を身に心に叩き込まれて

「私は大切」だと実感できるということが不可欠なのだ。

 

生きていたら辛いことがある。

生きていたくなくなる。

「死にたい」という感情が浮かぶ。

その「死にたい」を消し去るのではなく

「死にたい」と、ある意味共存しながら、

それでも「私は大切」だと実感を持って、死なないでおいてほしい。

 

そして、もし余裕があれば

「生きて」ほしい。

周りの人と「あなたが大切だ」と伝え合ってほしい。

 

私自身、偉そうなことは言えないし、

自分のことしか考えてないし、

生きることに理由や実感に辿りつけたわけではないけど。

とりあえず今は「死なないでおこうかな」くらいの途中地点。

まだ思考を続けていきたいと思う。