おとのは ことのは

詩と曲を書いています。

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彼女は決して言ってはいけない言葉を口走った

私はひどく傷ついて

と当時に

あぁこれで解放される

正当に忌み嫌うことができると

安心できた

 

いつ止んでもおかしくない雨のように

命が消えること

知らないわけではない

だけどそう言いながら

クソほどどす黒い日常が

ちゃっかり続くんだから

息を保たせるためには

多少の狡さは必要でしょう

 

彼女は頭弱いのかと思うほど悪気ない人間で

だから泣くし耐えるし愛情も持つ

だけど汚い人間の心の葛藤を知らない

ある意味、楽してると思う

 

とっくに雨は止んでいる

私の熱は下がらない

耐えかねて自分から燃えようか

血迷うほど

激しい精神を持つ子を

抱えるのは普通の人間でも難しい

今日も汚い言葉を吐く

 

もう一生会わないままにしようか

心苛まれて朽ちるくらいなら

どうせ最善策はないから

次善の次善でしぶとく息をするためには

 

いつ止んでもおかしくない雨のように

命は消えるよと

またイイ子がたしなめてくる

少しは黙ってくれ

これは異星児の闘いだ

 

やっぱり熱は下がらない

そんなことを

もう何日何年唱えているだろうか

世の地の悩める部屋

四畳半に慣れた身には

広すぎるくらいの部屋

帰り着いた途端にベッドに身を投げる

あぁ何かのドラマみたいだ

 

満たされはしない

ただ気を紛らわせることを

幾つも幾つも重ねれば

小さじ1杯くらいの癒しにはならないだろうか

 

人とともに在ることは

苦痛なんだと身を以って教えられ

齢30数えてなお

虚しい独り身

流行り言葉でならいくらでも表せよう

けれど

そうじゃない

そうじゃない

 

この世のこの地の定めを以って

 

四畳半に慣れたつもりが

心は宇宙の肩身狭し

 

どうやって生き延びよう

またベッドに身を投げ

1人思案しよう

誰もお前に気づかない

誰もお前に気づかない

 

頭の良い者

感受の強い者

それは魔法と同じく

人にはわからない特殊能力のようなもの

 

誰もそれに気づかない

 

お気の毒さま

世が世なら崇められ

または畏れられ裁かれ

人には知らないものを疎む心がある

 

誰も自覚は持っていない

 

頭の悪い奴が

感受の無い者が

何人 束になったところで

お前には敵わない

ただ、悲しいかな

 

誰もそれに気づかない

 

世は巡ってゆく

長けき者を置き去りにして

なまぬるい風ひとつ

唇を噛むか

それすら放棄するか

 

誰もお前を責められない

 

そして神のみぞ知ると呪文は生まれ

折り合いをつけると所作が身につき

もうこれで良かろうかと唸る世

なぜにまた降る才

 

お前だけがそれに気づく

皐月風

今朝もまた夢見の悪い

皐月、風薫れど

それが刺す胸

 

昨夜、初めて高台に上った

港夜景を真夜中見ていた

そんないいモンじゃなかったけれど

見ないで終わる人生もあった

 

いろんなことを考えていた

記憶の限界

思想の無限

堕ちた結果がいつもの虚ろ夢

 

どうせ朽ちる

言いながらわりと長く生きている気にもなる

いやに続く

嘆きながらすぐに飛び去ってゆく

時を思った

 

寝不足まなこ

だけど時計が示すならそう

動き出さないと

 

日は昨日より強く差し

工場地帯に電車が渡った

なんてことない街の片隅

ひとときだけど過ごす人生

 

いろんなことが湧き上がるのは

もう性としか

むしろ定めか

這い上がったなら表こなす日常

 

やけに太陽

責めるね暦どおりの

それ以上の移ろい告げる

まだまだ続く

夏を追って秋、冬

もう知ってる

 

それが悲しいことでもある

感覚を鈍らせなければ息もできず

ねぇたまに安心でもある

きっと過ぎ去る

どうせ過ぎ去る

 

いつか朽ちる

夢見悪いまま数十年生きたようなものだけど

ずっと続く

嘆きながら覚悟はできたようなものね

 

夢をみせる神様

皐月風だけはしっかり吹かせて

あぁ世が嘆きだけでないこと告げる

それが薫る

薫り続ける

こんな時使う

エピソード、感覚記憶

 

日付と私

日付を覚える癖がある

皆そうなのか

私が特殊かは知らないが

 

特に春など

息吹だけで殺されそうになるというのに

あぁ何年前のこの日にこうしていたのだと

思い出すだに崩壊する

自我も虚像も食うに食えない

 

気まずさも匂いも風も表情も

そのとき思い出していたことまでも

降るように

湧き上がるように

私の身の内を責めるから

 

日付は嫌いだ

時刻も嫌いだ

だからと言って

数字から離れたところで

解放されるわけでもなし

 

今日も刻んで

思いの丈を綴ったノートには

必ず最後に日付を記して

 

記憶の足しにしておく

私を殺す援軍に取っておく

せいおん

今を生きたことなど一度も無し

 

前向きで張りのある者の

スローガンのように唱えられている

馬鹿げている

 

過去を振り返らない者は

所詮、記憶の薄く

未来を思わない者は

所詮、想像がなく

 

思ってもどうにもならないことを

思わずにはいられない

後悔や不安でできた体

 

今を生きたことなど一度も無し

 

夢や希望を語ることも無し

 

愛にあふれた日々を知る者の

唯一の正解のように唱えられている

気が知れない

 

恋に揺るがない者は

もっとしんどい揺らぎを知っている

愛に縋らない者は

信じない分、神か己か、信じている

 

一番尊いとされる類を

何番目かに追いやる

他とは決して交わらぬ心

 

夢や希望を語ることも無し

 

今を生きることなど一度も無し

さくら通り

中野通りの桜を見に来てね

泣いちゃうかもしれないよ

 

季節なんてもう何だっていいと嘯いてた君だけど

この風ひとひら感じれば思い変わるかもしれないよ

 

ねぇ まだ胸には重い誓い

ほら 溶かしてよ 少しずつでもいい

隙間から日の光も差すでしょ

 

中野通りの桜を見に来てね

笑えるかもしれないよ

こんなにあたたかい風吹く季節

今しかない浮世の魔法

 

景色なんてもう何だっていいと うつ伏せてた君だけど

この桜色つづく道 歩いてきてほしいよ

 

ねぇ 僕ら時には思い違い

もし約束通り会えなくてもいい

君がこの春色の中にいてくれれば

 

中野通りの桜を見に来てね

泣いちゃうかもしれないよ

 

風にひとひら舞うのも

懐かしい思いさえ揺り起こすから

 

中野通りの桜が降るとき

笑えるかもしれないよ

泣いちゃうかもしれないよ?

自死について①

自殺者が後を絶たない。

それは「辛い状況」が引き起こしたのか、

いや「本人の気の持ち様」で食い止められたことなのか、

もしくはその両方、ないし別の要因が絡み合っているのだろうか。

 

自ら死を選んで実行することについて。

先に言っておきたいが私は自死を推奨しているわけでも

仕方ないと容認しているわけでもない。

 

ただ、よく言われる「命を大切に」の標語に沿ってなんとなく、

いけないことだとは分かっているつもり。

だけど納得はしていない。

「命を大切に」と唱えるだけで人間の自死を止められたら苦労しない。

 

誤解を恐れずに問えば、そもそも自死はそんなに悪いことなのだろうか。

命は大切にしないといけないんだから。

周りの人が悲しむから。

生きたくても生きられない人がいるのだから与えられた命を全うしないと。

これらの言葉はすごく真っ当で眩しい。

ほとんどの人がこれらの常識を知っている。

だけど実感できていない場合は?

知ることと身のうちから納得して実感していることは似て非なるものである。

 

生きていれば悲しいことが起こる。苦しい時がある。

それが「死にたい」と直結してしまう思考を私は否定しない。

人が「死にたい」と口にしたとき、

「それはいけないことだ」とだけ唱えても、解決にはならない。

弱って生きる道が見えない時に、

人が「死にたい」を止めるにはそれ相応の「実感」が必要になる。

 

それなのに頭ごなしに「死んではいけないから」と唱えて

人間誰しも持ちうる「死にたい」という感情まで抑えつけて

無かったもののようにするのは根本的な解決になっていない。

 

「死にたい」ながらも、ひとまず「死なないでおく」ことができる理由が必要だ。

「生きる」ことが厳しくなった時、その対極の「死ぬ」しかないわけではない。

積極的に「生きる」なんてしなくていいから、「死なないでおいて」ほしい。

 

そして、その理由は。

簡単なこと。

「自分が大切」だから。

小学校の道徳みたいなキレイゴトで一見バカみたいだなと書きながら思うのだけど、

まさにその小学校くらい(というか、もっと幼い時から)刻みつけないといけない

1番大切な実感だと思う。

 

確かある小学校の先生だったと思うが、

「命は大切」と1000回教えるより

「あなたは大切」としっかり教えることが大事だと言われていた。

私は、なるほどこの感覚こそが自分に足りないもので

なおかつ自死を止める理由でもあると納得した。

 

自死を望む人がいて、物理的に縛りつけるなどして止めることはできるかもしれないが

本当の意味で本人が「死なないでおく」、できれば「生きる」ためには

この「あなたは大切」を身に心に叩き込まれて

「私は大切」だと実感できるということが不可欠なのだ。

 

生きていたら辛いことがある。

生きていたくなくなる。

「死にたい」という感情が浮かぶ。

その「死にたい」を消し去るのではなく

「死にたい」と、ある意味共存しながら、

それでも「私は大切」だと実感を持って、死なないでおいてほしい。

 

そして、もし余裕があれば

「生きて」ほしい。

周りの人と「あなたが大切だ」と伝え合ってほしい。

 

私自身、偉そうなことは言えないし、

自分のことしか考えてないし、

生きることに理由や実感に辿りつけたわけではないけど。

とりあえず今は「死なないでおこうかな」くらいの途中地点。

まだ思考を続けていきたいと思う。

ねがい


ねがい

緑の羽根(かぜ)が揺れる空

心は惑うようにできてる

遠い闇夜に見てたのは

言い訳のないその瞳

 

時よ今 流れてくれ

悲しみを負う者にとり

時よ今 流れてくれ

君だけが希望なのだ

 

いつかはかえる魂も

望んですぐには出会えない

遠い闇夜が続くのか

蛍火はまだ見えぬのか

 

時よ今

悲しみなど何処にもないような体で

時よ今 流れてくれ

彼女が気づかぬうち

 

時よ今 流れてくれ

悲しみを負う者にとり

君だけが希望なのだ

あぁ今 流れてくれ

病じゃない 間違いじゃない ―a HSP singing


病じゃない 間違いじゃない

なんて実の無い浮遊の世界

体中が怯えてる

違う次元で生きてるような 生きてもないような

とある誰かに言わせれば“病”

容赦なく切り離す

あてない薬を与えられても 落ちつくはずないでしょ

 

ただ生きたいよ

ねえ間違いなの?

嘆く君に もう全力で伝えたいことは

 

きっと延長線上

病じゃない 間違いじゃない

繊細さ故に傷つくだけ

そうさ延長線上

病じゃない 間違いじゃない

惑う星の上にいるだけ

 

どこまで行けば普通の世界

ひとしきり泣いても

四六時中が戦いね

不安は増すばかり

 

borderは誰にも引けない“病”

なのに何故突き放す

社会全体が冷たいね そんな気がするよね

 

ねえ通りすがりの 彼にも聞いてほしいよ

思い込みだけで 心は滅ぼせてしまうから

 

みんな延長線上

病はない 間違いはない

余計な言葉で締めつけないで

そうさ延長線上

病はない 間違いはない

存在してる時点でもう・・・

 

延長線上

病じゃない 間違いじゃない

他の誰かに見えないものも

君が見たなら・・・

 

きっと延長線上

病じゃない 間違いじゃない

強い感受(おもい)に震えつづけた 君も延長線上

病じゃない 間違いじゃない

惑う星の上で今日も

 

みんな延長線上

病はない 間違いはない

余計な概念(ことば)は捨て去ってくれ

そうさ延長線上

病はない 間違いはない

存在してる時点でもう・・・

 

病じゃない! 間違いじゃない!